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小説家:映(はゆる)

月数回、不定期に更新されます。
どんな言の葉、ストーリが生まれてくるのか。是非更新を楽しみにしてて下さい!!

アリクイのバク

第1話

・いつもと同じの日。
AM7:00 起床
     とりあえず顔を洗う。暑い日でも寒い日でも。
     コーヒーを入れる。きちんとペーパードリップをして。
     新聞を読む。原則として天気図から読み始める。
     余裕があれば音楽を流す。ジャンルは気分次第で。
AM8:00 家を出る。
     会社勤めなので、決まった出社時間がある。僕の会社は9時。
     毎日同じ電車、同じ車両に乗り込む。
     降りる駅の開くドア付近がベストポジション。
AM9:00 出社
     デスクワークの仕事なのであまり動かない。
     昼休みには散歩に出かける。会社の近くには大きな公園があるのだ。
PM6:00 退社
     残業がなければこのくらいに会社を出る。
     しかも今日は約束もないので、そのまま帰宅。
     あ。スーパーに寄ってビールと食材を買ってから帰る、が正しい。
PM7:30 帰宅
     とりあえず手を洗う。
     ビールを冷やし、夜ごはんを作る。僕は自炊派。
     家でゴハンを食べる時には必ず作る。
     ビールを飲みながら食事をし、あとは好きなことを好きなだけする。
     眠くなったら寝る。

こうして僕は毎日だいたい同じような生活をしている。
たまに友だちと会ったり、気が向けば映画を観に行ったり、美術館に行ったり。
平凡な、だけど退屈ではない日々に感謝しながら生きている。
いや。生きていたんだ、つい数時間前までは。
僕が何をしたというのか。どうして知らないうちにこんなことになっているのだ?
その答えは誰も持っていない。僕にだって説明できない。
いつもと同じ日のようにスーパーに寄って家に帰る途中だった。
いつもと違うのは、ふと気になった細い路地。そこを曲がっただけなのだ。

2010.10.UP

アリクイのバク

第2話

・哀しき演奏者。
路地に入ってから何の疑いもなく歩いた。あと3ブロックくらいしたら左に曲がる。
そうすればいつもと同じ我が家が見えてくるはずだと考えていた。
でも。
歩けば歩くほど道は薄暗くなり、気がつけば僕の後ろは見えなくなった。
曲がりたくても曲がる道が見つからない。いったい、どういうことなのだろうか?
今日は俗に言う『魔がさした』日だっただけなのに。
いつもと同じ日、に変化をつけるのは刺激ができていいと言う人もいる。
だけど、僕にとってはあまり良くないことだったのかも知れない。
そんなことを思っていても。
辺りを見回せば外灯は消え、僕の前に続く真っ直ぐな道しかなくなった。
外灯は消えたのに僕の周りは微かに光っている、何かが発光しているようだ。
もうここがどこでもかまわない。僕はこの真っ直ぐな道を抜けるんだ、必ず。
先の見えない道を歩く。ただひたすらに。
出口は突然に現れるもので。
素直に驚いた。少しばかり僕は、この道から抜け出せないんじゃないかと思ったから。
期待と不安を持って出口らしき場所へ向かう。見えてきたのは朝日だった。
夜に歩いていたはずが朝?一晩中、僕は歩き続けていたのだろうか?分からない。
出たところはよくある広い公園で大きな噴水と小さな森があった。
花壇も丁寧に手入れがされていて、朝日に照らされキラキラと咲いている。
そして気がつく。
僕はあの道を歩いている間に、いろいろなものを落としてきたみたいだ。
・右手のスーパーの袋
・時間
・帰り道
・僕
僕?そう、僕も落としてきたらしい。
スーパーの袋の代わりに持っていたのは愛用のヴィオラだった。
名前も年も住所も、僕が何をして生きていたのかも思い出せない。
恐怖よりももう可笑しくて可笑しくて。
どうしてこんな仕打ちをされなくちゃいけないんだ?なぜ僕なんだ?
朝日が昇る中、ヴィオラを弾きながら大笑いした。そのうちに泣いた。
ピエロの曲芸みたいに笑いながら弾いて、声を出して泣く。
近づく人影にも気がつかないで。

2010.11.1.UP

アリクイのバク

第3話

・朝日の中のアサヒ。
太陽の光を浴びながら狂ったように泣き笑いヴィオラを弾いている僕に、
その人はある名前を呼んだ。
―コウグ。
僕が何者なのか分からなくても、呼ばれた『コウグ』は違う。僕の名前じゃない。
だから応えないことにした。まだまだ弾き続けていたいんだ。
そんな僕にその人は近づいてきて、肩を掴まれたと思ったら抱きしめられた。
しかも意外と力が強くて思わず「痛い」と言ってしまう。よく見たらその人は泣いていた。
泣いていたいのは僕のほうなんだけどな。
その人は「一体どこを放浪していた?5年も音信不通で。もう会えないと思った。」と。
違う、この人言っている『コウグ』は僕じゃない。だって数分前に初めて来たのだもの。
こんなも会いたがっているのに本人じゃない。何だか心苦しかったけど、言った。
―僕は『コウグ』じゃないです。
その人は顔を歪めてから、
―コウグじゃなきゃ誰だ?こんなにも似ているのに。
と。だから答えた。僕自身も確認するために。
―気がついたらここにいて、気がついたらヴィオラ以外、覚えていなかったんです。
あぁ、また泣けてきた。もう大人だというのに情けない。その人は少し考えてから
―分かった。お前は、わしの会いたい男ではないんだな?
名前も帰る場所もない。そうだな?…だったら、わしの家に来い。
クリーニング屋をやっているから働けばいい。住む場所も貸してやる。
名前は『アサヒ』にしよう。お前とは朝日の中で出会ったんだから。
今日から、わしの親戚の『アサヒ』になるんだ。いいな?
と、笑顔で言ってくれた。僕はただ頷くことしかできなくて、疑うこともできなかった。
何者かも分からない僕に、家族と家と職を与えてくれるその人に付いていこう。
いろいろなものを手に入れたのに、何1つ実感が持てなかった。どこか他人事のように思えたんだ。でも、その人は頷いた僕を見て、満足気に腕を組んで笑っていた。
ちなみにその人の名前は『ハセ』と言う。奥さんは『ナタリー』だと言っていた。
今日から僕はハセさんのクリーニング屋で働く『アサヒ』になる。
僕が最初に呼ばれた『コウグ』についてハセさんは何も話さなかった。だから僕も聞きはしない。簡単に話せるものではないと思うから。
音信不通、ということは行方不明なのだろう。『コウグ』と僕は同じだ。
今まで過ごしてきたあの町で、僕は音信不通の行方不明者になっていくのだ。
それを考えていても仕方がない。僕はここで過ごしていくと決めたのだ。
はじめまして。新しい僕、『アサヒ』

2010.11.10.UP

アリクイのバク

第4話

・新しい1日。
あの後、ハセさんに連れられてアパートまで行ってきた。
あまり新しくはないけれど、僕が住むには丁度いい古さがあった。そこの1階が僕の部屋。
バルコニーの代わりに小さな庭がついていて、綺麗に花が咲いている。
空いている1階の部屋の庭にナタリーさんが草花を植えているらしい。センスがいい。
ハセさんが生活に必要な最低限の物は用意してくれた。なぜ僕にそこまでしてくれるのかは分からない。お金を持っていない身としては、願ってもいない親切だった。
たぶん。『コウグ』と関係があるのかも知れない、と思う。
そしてクリーニング店に向かう。アパートから歩いて10分くらい、僕の職場となるお店だ。
クリーニング屋に相応しく真っ白な外壁に、ナタリーさんが育てていると思われる可愛らしい小花のプランターが店先に並んでいる。どんな汚れでも、プレスでも丁寧な仕事をしてくれそうな感じがした。
まだ開店前なので裏口から入る。ちなみにハセさん夫婦が住んでいるのは、お店の隣り。
―おぅ、連れてきたぞ。
とハセさんが声をかければ、中からバタバタと人が出てくる音がした。ナタリーさんの登場だ。彼女は僕のことを聞いていたはずだけれど、少しばかり目を大きくして見つめた。
ほんの2.3秒。すぐに僕の手を握り締めて言った。
―アサヒ。ここの人はみんな優しいの。分からないことがあればすぐに聞くのよ。
赤毛に褐色の肌、何十年もクリーニングをしてきた手。優しい笑顔。
ハセさんは初夏の太陽みたいな人。ナタリーさんは春の大地のような人。
僕はこの優しい夫婦のために、丁寧に働いていこうと決めた。
ところで。クリーニング屋の仕事って何をするのだろう?
・店頭でお客様を迎える(受付や電話対応)
・衣類のチェック(染み、素材など)
・クリーニング
・宅配
細かくあげればもっとあるだろう。ハセさんは「店頭と宅配の仕事を任せる。」と言っていたので、まずは衣類の基礎知識と町の地理を把握しなくてはいけない。
やることができた。
僕の心はそれだけで満足だった。もし、彼に出会えなかったら僕はまだ公園でヴィオラを弾き続けていたのかも知れない。眠る場所もなくて、お腹を空かせていたかも知れない。
与えられる物事には必ず意味があると思っている。僕は1つずつに感謝をし、意味を考えて過ごそう。きっと何かが掴めるはずだ。
さぁ新しい1日の始まり。
―いらっしゃいませ。

2010.11.14.UP

アリクイのバク

第5話

・小悪魔クロエ。
町にも仕事にも慣れてきた頃、僕に同居人ができた。
突然、僕の家で寝泊りをするようになったクロエ。彼女はよく部屋や庭に出て寝ている。
そんな彼女との出会いには、ロマンスのかけらが1つもなかった。
まだ僕がヴィオラを弾く場所がなくて、噴水のある例の公園でしか練習も演奏もできなかった時に出会ったのだ。
穏やかに晴れた昼下がり、仕事が休みだった僕はヴィオラを持って公園に出かけた。
日射しが気持ち良かったから、そんなような曲ばかりを弾いてみた。自分で言うのもなんだけれど、良い曲の選択だ。何曲か弾いたから、持ってきたコーヒーで休憩をしていた。
すると、ココちゃん(大きなお屋敷のお譲ちゃん)とクロエが近づいてきて「もっと聴きたいの。弾いてくれる?クロエも言っているわ。」と。近くのベンチで聴いていたらしい。
僕のどこを気にいったのか、その後からクロエは僕の家に住みついたんだ。

艶やかな黒い毛と琥珀色の大きな瞳を持ち、少しばかり洒落た名前のクロエ。
首にはトレードマークに鮮やかな緑色のリボンをしている。
初めは戸惑ったけれど、何もない部屋にクロエがいる、それだけで明るい気分になる僕がいた。だから住みついていても悪い気はしないのだけれど。
僕が仕事に行っている間、彼女は出歩いているみたいだ。澄まして颯爽と街中を歩き、時には誰の腕に抱かれながら笑っている。
クロエは小悪魔ちゃんなのだ。
そう、例えば。僕が部屋で何をしていようが、完全なる無関心。
それでいて、仕事以外で帰りが遅くなると怒ってくるのだ。わがまま娘。
そんな彼女のお気に入りたち。
・首にしている緑色のリボン
・ごはんと愛用の毛布
・僕のヴィオラ(僕自身のことも好き、なはず)
・太陽の光

クロエは何故か僕の弾くヴィオラを聴き逃さない。
弾いていれば必ず見つけて近づいてくる。外だろうが室内だろうが。
ヴィオラの音をゆっくり聴きながら彼女は時々、切なげに僕を見つめた。
弾き終わると僕の傍にべったりとくっついて、抱き上げるのを待っている。
それが可愛らしくて、いつもの無関心ぶりをつい許してしまうんだ。

僕の可愛い同居人、黒猫のクロエ。

2010.11.30.UP

アリクイのバク

第6話

・ミソハギの歌うたい①
彼は、僕にとってこの町で初めてできた音楽仲間だ。アコースティックギターで弾き語るシンガーである。友だちになったきっかけは公園でのこと。
紫陽花の咲く頃、僕がいつも練習している場所で声をかけてくれたのが始まりだった。
―いい音で弾くね。
ふいに声をかけられた。声の主は郵便屋さん。いま休憩中なんだ、と彼は言う。
―でも、そろそろ公園で弾くには大変じゃない?いつ雨が降るのかも分からないし。
 あぁ。俺は郵便屋のラウ。君はハセさんのところのアサヒでしょ?
だから僕は、「公園以外にヴィオラを弾ける場所もスタジオもライブのできる所も知らない。音楽仲間もいないんだ。」と答えた。
ラウは「俺は郵便屋だけどシンガーでもある。」と教えてくれて、練習できる場所も音楽仲間が集う所も紹介してくれるらしい。
―どうして僕に親切にしてくれるのですか?
 僕は最近ハセさんの家に来た、何者かもよく分からない人間です。
優しくしてくれるのは嬉しいけれど、戸惑ってしまう。この町の人たちは親切すぎるのだ。
最近じゃ僕自身どこから来たのか、元いた街に帰ろう、と考えることが少なくなってしまった。
僕が何者でもいいし、「アサヒ」を受け入れて過ごすことに慣れすぎていた。
「僕」を取り戻すことを捨てていいはずなんてないのに。
―アサヒ。君の音はクリアだ。それでいて人間の声みたいに何かを訴える。
君のヴィオラの音に悪いココロは見えないし、音楽仲間が増えるのは楽しいじゃない。
ラウは向日葵のように笑った。
その時、ラウの歌に興味を持ったんだ。彼の音を聴いてみたい、と。
きっとラウのように爽やかで、包み込むような音楽なのだろう。

だけど。ラウの歌を聴けたのは、それから数カ月後だった。



寒さが身にしみてきた頃、Barナギナタコウジュで飲んでいたらラウが隣に座った。
彼は、ウィスキーを片手に淡々と話しだした。
――俺ね、歌を歌えなくなってたんだよ。でも、ようやく解放された。話し聞いてくれる?
と。僕は返事のかわりにお酒を頼んだ。ゆっくり聞くよ、という態度で。
その夜、Barは僕たちの貸し切りになった。

2010.12.14.UP

アリクイのバク

第7話

・ミソハギの歌うたい②
俺にとって魔法のようで呪詛だった言葉がある。

「あたしね、ラウの作る音楽と世界が好きよ。だって、森を包む風みたいだもの。」

知り合ったきっかけは親友だった。俺は彼に大切な彼女として紹介された。
彼女は待ち合わせのとき、彼の名前を呼びながら手をふる。その姿に見とれた。
次に笑った顔。
次に選ぶ言葉。
次にはもう好きだった。
たとえ叶わない想いだと分かっていても。
俺は親友が大好きで、彼女も大好きで。
大好きな人同士で付き合っているのに苦しいと思っていたんだ。
時が経つにつれて、何で俺じゃダメなんだろう?と考えるようになっていた。
同時に、どうして2人とも大好きなのに苦しい心が捨てられないんだろう?とも思った。
その頃に作った曲たちは愛に溢れすぎていて、救いようのない可哀想な歌ばかりだった。
ただ、ただ。 2人のことが大好きなだけなのに。
それから上手くココロと付き合えなくて、歌えなくなった。曲を作れなくなった。
俺の世界の音が鳴らなくなったんだ。

木々の葉が紅く染まる頃、彼らが結婚すると決めた。
彼らが結婚すると決めて、お祝いに3人で飲んだ夜の出来事。
だいぶ飲んでいて、気がつけばソファで2人が寄り添って寝ていた。
それ見て、ようやく俺は優しい気持ちになれたんだ。
彼がどれほど彼女を大切にしていて、これからの人生を一緒に歩き続けていく決意が分かったから。その時、俺は久しぶりに歌ったよ。2人だけのために静かにね。
飲んでいる時、親友は言った。
―お前が歌うたいで良かったよ。お前の歌と声を聴いていると何かに安心するんだ。
彼女は。
―あたしね、ラウの作る音楽と世界が好きよ。だって、森を包む風みたいだもの。
と。
大好きな人たちが俺の音楽と世界を好きでいてくれる。それで幸せじゃないか。
だから俺は歌い続けるよ。もう大丈夫。

―ねぇアサヒ、マスター。1曲、聴く?

2010.12.16.UP

アリクイのバク

第8話

・色のない雪
君は誰?
ある朝僕は汗をびっしょりと掻いて目が覚めた。窓の外はまだ暗い。
足元ではクロエがいつもと同じように丸まって寝ている。特に部屋の中に変わりはない。
さっき見たものは夢なのだろうか?それとも置いてきた記憶なのだろうか?
分からない。
印象的なものたち
・女の人
・携帯電話
・雪
・彼女の困ったような笑顔
・視点は僕
場所は知らないし、色も音もない世界だった。雪が降っていた気がする。
きっと色も音も雪に消されたのだろう。
不快な汗をタオルで拭きながら、もう1度よく思い出してみる。できるだけ細かく。

僕は待ち合わせをしているらしい。駅がある広場で腕時計と携帯電話を気にしていた。
何時に誰と何の約束をしているのかは分からない。僕のほかに人も車も見当たらず、雪がふわふわと降り続けていた。
長い時間、待っていたと思う。遠くのほうから近づいてくる女の人が見えた。きっと待ち合わせ相手だ。黒い髪が白い雪に映えて目に焼きつく。
視界が悪くて顔がはっきりと確認できなかった。携帯電話があるのに、女の人は直接僕に何かを言っているようだ。
けれど音のないここでは、さっぱり分からない。女の人は言い終わったら、困ったような笑顔で手を振って去って行った。
女の人を引き止めるため走ろうとすれば足は動かない。声を出そうとしても声は出ない。思いっきり手を伸ばして捕まえようとしても届かない。
そんな顔をして、何を僕に言いたかったの?
君は誰?

これが夢の全てだ。いくら思い出そうとしても、これ以上は何も出てこない。
僕は何者なんだ?せめて女の人の名前くらい知りたかった。
窓から太陽の光が射し込んでくる。またいつもの朝がきた。

「あなたは『アサヒ』になってしまうのね?」

2010.12.24.UP

アリクイのバク

第9話

・CAFÉマリアンヌ
最近、僕がよく行くお店がある。中央公園の近くにあるカフェだ。
いつも綺麗な花を飾っていて、お菓子の焼く匂いがする。その店の名はCAFEマリアンヌ。
マリアンヌさんという年齢不詳の女性がオーナーで、町の人は皆『マリアさん』と呼ぶ。
だから僕もマリアさん、と呼んでいる。だけど僕にしてみたら、おばあちゃんくらいの年齢なのだろう。そんなマリアさんとお店について、もう少し話そうと思う。
彼女はお洒落で、ワンピースをよく着ている。今日はいくつもの黄色が重なって、秋の太陽のような色をしていた。それに麻のストールをまいて、髪の毛はベリーショート。きちんとお化粧もしていて素敵な女性なのだ。
そして魅力的なCAFÉのお菓子は全部、彼女の手作りである。季節ごとにメニューは変わり、その時期に一番おいしいフルーツを使っている。今のお勧めは『スコーンと柚子のマーマレード』このお店で食べるお菓子とコーヒーで僕は、幸せな時間を過ごせるのだ。
晴れた日に窓の外を見ながら、ぼぅっと過ごす。
雨の日には読みかけの本を持って行って、雨音と静かなBGM心地よく読書をする。
いつ行ってもマリアさんは控えめな笑顔で出迎えてくれる、そんなお店だ。
そうそう、CAFEマリアンヌには3匹のネコがいる。白色のと金色のと焦げ茶色。
僕の家にいるクロエは元住人だ。ここで飼われているネコだった。クロエに公園で懐かれてしまったため、飼い主の所まで連れて行った時にマリアさんと初めて会った。
マリアさんはクロエに「仕方のない子ね。」と笑いかけた。そして、僕を見て言った。
―貴方はクロエを大切にしてくれそうね?
この子が懐くなんてココちゃん以外いなかったのよ。
という具合にクロエは僕の家で飼うことになった。
それからしばらくして僕は、CAFEマリアンヌに通いだすことになる。

今日もお菓子とコーヒーを頼むとマリアさんは「アサヒ、少しお話をしましょう。」と珍しく言ってきた。大体がお客さんの話を聞いて優雅に仕事をしている人なのに。
彼女の申し出に僕は少なからず興味を持って、いつもの窓辺の席からカウンターへと移動した。マリアさんは自分用のマグカップにコーヒーを注いで、金色のネコを抱きながら話し始める。
―アサヒ。貴方はハセの親戚でも何でもないわね?ハセから聞いているわ。記憶がないと。
これを知っているのは私だけだし、貴方がどこの誰でも関係ないの。
 私にとって重要なのは、過去を持っていないこと。私の思い出をもらって欲しいのよ。

空気の澄んだ小春日和の午後のことだった。


2011.1.27.UP

アリクイのバク

第10話

・カラタチの手紙(マリアさんの想い出①)
まだ私がとても若かった、このCAFÉを初めて間もないころの話し。
生まれ育ったこの町で生きていこうと決めて、お店を出すことにした。
私ができることと言えば、コーヒーや紅茶を人より少しばかり上手に淹れることができたり、季節に合わせてお菓子を作ったりすることだ。
あの頃は今のように『CAFÉ』という洒落た言葉は使われていなかったと思う。
けれど私は、『喫茶店』ではなく『CAFÉ』を作りたかった。
町の住人たちは「マリアが店を出した!」と面白がって連日やってきては、何かしらを飲食してくれる。忙しかったけれど、正直ありがたいと思った。
そうしながら1年が過ぎた頃、見慣れない男性が週に2.3回ランチを食べに来るようになった。
彼はいつも書類を読みながら、少し険しい表情をしたりボールペンを指でクルっと回したり時には店内の花を眺めていたり。
ただ、私がランチプレートを持って行くと必ず顔を上げて「ありがとう。」と言ってくれる。
その声がとても心地良いと思っていた。
唐橘が咲く頃、ランチプレートを運んで行くと彼は私に1通の白い封筒を差し出す。
お客さんから電話番号を貰ったり、食事に誘われることもなくはなかったけれど、1度も受け取ったり食事に行ったりすることはなかったので、今回も受け取るかどうか正直、迷ったのだ。
でも。好奇心に負けた。この町の住人じゃない彼がどんな字で、どんな言葉を紡ぐのか興味があった。
差し出された封筒を受け取ると彼は、いつもと変わらない声で「ありがとう。」と言う。
休憩時間、というよりもお客さんが一段落した午後にカウンターで手紙を開く。
白い封筒に白い便箋。黒よりも紺に近い万年筆の文字。丁寧な言葉たち。
どれをとっても彼のようだった。
話はしたことがなかったけれど、ずっと前から知っているような気がした。

[・突然の手紙で驚かれていることでしょう。僕は仕事の関係でこの町に来ています。
  ランチをどこで取るか迷っている時に、このCAFÉを見つけたのです。
  お店の雰囲気も良ければ料理も美味しい。何より丁寧な仕事をしている君がいました。
  きちんと話をしてみたいと思ってはいたのですが僕は口で上手く伝えられないので、
  手紙という形を取りました。
  受け取ってくれてありがとう。嫌でなければ返事をくれたら嬉しく思います。
  ではまたランチでお会いしたいと思います。
                                  S・ジル  ]

2011.2.20.UP

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